あああ、最近ブログ書いていない。
早起きして書こう!」と気合いをいれなおしたはずなのに、1時間早く起きた朝も、気づけばごろごろしていつもの時間になっている…。
「書きたいことを書き出すぞ!」とマインドマップに書き出したものの、ぶっちゃけそこからなににも記事になっていない。
Googleドキュメントには、日の目をみない書きかけの記事がたんまり溜まっていく。
なんなんだ、なんなんだよ、もう。
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ブログ書けない記事を読み返してみた。
5ヶ月前にやっぱりブログが書けなくて、同じような記事を書いていました。
つまりブログが書けないのは、実は「書きたくないから」で、本当に「書きたい」と思えれば自然と書くように進めるはず。
そして書きたくない理由をあげてみると、「うまく書こう」としているから、人からの目線をおそれているからということが書いてありました。
うまく書かなくてもいい。うまく書かなくても意外と伝わる。伝わらないから、そこから修正していけばいい。
何もないより、下手くそな一歩を踏み出そう。
そう!そうそう!
確かにそう決めたのに、でもなんでまた書けなくなったんだろう…?
再びブログを書けなくなったその理由
いったいなぜまた私はブログを書けなくなっているのでしょうか。
書けないのは書きたくないから。
その法則にしたがって、「ブログ書きたくない理由」を今一度、考えられるだけあげてみます。
・アップするのがめんどくさい
・ブログが重いのに対処できてない
・対処できてないのにブログの記事増えたらまた重くなりそうで嫌だな…
・書きたいことがまとまらない
・誰かに見せられるブログにならない
・ブログが見つかったら恥ずかしい
・見せられるブログなんて書けない
…見せられるブログなんて、書けない。
これがめちゃくちゃしっくりきました。私はブログを見せたくなかったんです。
自分が本当に思っていることを知られたくなかったんです。
大切な人に嫌われるのがめちゃくちゃ怖かった
そういえば最近好きな人ができて、気づいたことがありました。
私はめちゃくちゃ人に嫌われるのを恐れている。
ラインが来ないと「嫌われたかな?」と思ったり、帰りたくないなと思ったけど、そんなこといったら「うざいかな」と思ったり。
「したいことが言えない自分」がいたのです。
したいことがあっても、素直にぱっと可愛くいえなくて、隠したりごまかしたりしてしまう。
帰りたくないなと思ってもぱっとは言えなくて、「私も帰りたいような気もしなくもないし…」とか謎の自己説得をはじめている。そう、自分の中で。
したいことを言おう、勇気出して言おう。そう決めてこれまで色々な場面で勇気を出してきたはずなのに、いえない自分がまだいたんです。
これってもしや、ブログ書けないのとすごく関係あるんじゃないかな。
「したいことをいったら恐ろしい目にあう」という世界観
大好きな人の前で、気づいたら素直になれなくて勝手にいじける可愛くない自分を変えたくて。何かをさがしていたら「言いたいことが言えない人」という本に会いました。
自分の正直な気持ちを表現して、それが相手の意に沿わなかったら恐ろしいめにあう。
そんな環境で生きていると、「いいたいことが言えない人」になるんだそうです。
つまり、親が権威的だったり、自分の意見と違うことを認めない親だとそうなるってこと。
覚えありすぎ。
私の父は、私のことをよく「自分勝手だ」「みんなのことを考えてない」と怒りました。
そう、だから私は自分のことはあまり言わないようにしてきました。父の範囲から外れていたら否定されることがわかっていたから、自分のことを表現するには覚悟が必要だった。
人と対立することを恐れている、相手と意見が違ったら困る、だから自分の意見をいえない、内側にこもる。
ああ、まさに私のことだ。
でもこれってつまり、世界の真実というわけではなかったってこと。父との関係で作り出された私の考えだったってことなんですね。
変えたい。変わりたい。恐れずにもっと、自分のことを表現したい。
喜びとともに自分を表現するにはどうしたらいいのか
思えば私の表現は、自分の本心を表すものではなかったのかもしれません。
おそらく誰とも対立しないような無難な話がほとんどで、人生を決めるようなことでようやく覚悟決めて戦うと決めて戦える。そんな感じ。そしてそんな風に生きてきたんだと思います。
戦えるようになったから成長したと思っていたけどまだあった。私は自然な自分で、自信持っていていたい。
ありのままの自分が好きな人に受け入れられると感じたときに、自己表現ができる。そこにその人の個性が現れる。
自分の意思を伝えて嫌われてもいい、それが人間。自分の意思が言えたという喜びを大切にする。
人が自分の感情を表現するには相手に対する信頼感がなければ無理。実際の自分を知っても自分を見捨てないという安心感、自分をさらけ出しても傷つかないという安心感。
うーん、なんか難しいな!
「自分の意思を伝えて嫌われてもいい」というのと、「ありのままの自分が受け入れられる」って逆の話ではないのかしら?
あ、でもそもそもありのままの自分でいないと、それが受け入れられると感じることもないのか。そうか。
とりあえず「自分の意思が言えたという喜びを大切にする」。
これでしばらくやってみようと思います!
ここまで読んでくれてありがとうございます。なにか参考になったら嬉しいです。
ではでは!